これまで、オーストリア皇妃エリーザベトに関しては、一貫して、このような肯定的・同情的なイメージでばかり、語られ続けてきた。自由を愛し、民主主義思想と適切な批判精神を持ち、個人としての自立を目指した、近代的で高い知性を備えた女性。そして、コルティ以降、その繊細で自由な感性から、人間性を圧殺する、ウィーン宮廷のその古臭くて厳格で人間味のない慣習や生活に耐えられず、生涯旅から旅への生涯を余儀なくされた、悲劇の女性、そして繊細過ぎる感受性を持った、まるでガラスのように脆くて壊れやすい女性というような見方が、いまだに根強い。 更に、そのようなごく正当な主張を受け入れられない、時代遅れの頑迷な宮廷に馴染めず、その苦悩を詩や日記などで吐露し、流浪の旅への日々に送った、薄幸の美人皇妃。虚飾に満ちた、上流社会の一般的な生活よりも、あくまで本質を重んじた彼女は、全てがくだらない、こうした世界に背を向け、よほど価値のある思索の日々を、遠い異国で送った。 しかし、本当にこれまでのこうした彼女の捉え方及び称賛は、適切なものなのだろうか? 本当に、長年に渡る、エリーザベトとウィーン宮廷との確執においては、とにかく理解のない、ウィーン宮廷の人々が悪く、彼女の主張の方が、正しかったのだろうか?本当に彼女は、優れた知性と啓蒙された、近代的な思想を持ちながらも、環境に恵まれなかった、悲劇の女性だったのだろうか? 私はこれまで長い間、巷でのこのような、あまりにロマンチックで感傷的かつ肯定的過ぎる、こうした従来のエリーザベト像に懐疑の念を抱き続け、そしてあれこれと自らで研究・様々に考えを巡らせていく内に、こういった彼女の姿は、正確に彼女の本質を捉えていない、ロマンチックな色彩に装われた、虚像なのではないか?という結論に達した。 私はこういったものに疑義の目を向け、これらの装飾を剥ぎ取っていき、彼女の実像に迫っていった結果、目の前に現われてきたものは、もっと、遥かに強烈な自我と自己主張と自尊心を持ち、激烈で自らですらしばしば制御不能になる程の情念を内包した、そして極めてエキセントリックな女性の姿だった。 今までのオーストリア皇妃エリーザベトの称賛及び評価に、懐疑の視線を投げかける。 この巻では、ほとんど夫婦であることが困難な程、気質も主義主張も生活リズムも、ことごとく相違を見せ、ついに何十年も離れ離れに暮らさなければならなくなった夫の皇帝フランツ・ヨーゼフ、子供達の中では、反逆的、そして芸術家気質でエキセントリックな傾向を持つ、自分と同じヴィッテルスバッハ家の血を最も色濃く受け継ぎ、本来なら最も親密な親子になっていたかもしれなかったにも関わらず、なぜかエリーザベトは自分の思想との共通点は認めつつも、この息子ルドルフに対してはどこかよそよそしく、距離を置き続け、彼女の愛情は、ひたすら三女マリー・ヴァレリーの方へと注がれるという、悲劇的な関わり合いを見せた息子ルドルフ、そして激しく嫌悪し続け、終始辛辣で冷ややかな態度でエリーザベトが臨んだ、義娘のステファニー、共に美貌を備えた異端の王族、そして何かと共通点を有し、親しく交流したバイエルン国王ルートヴィヒ二世、そして彼とエリーザベトを結び付けていた、独特の共感と世界観。エリーザベトを巡る周囲の人物達との関係、そしてなぜエリーザベトは、あそこまで自分の中の理想の体型を維持し続けることに、並々ならない執念を燃やしたのか?その真意とは?彼女の生涯の中で、大変に重要な比重を占め続けた、美容崇拝について、考察してみた。
これまで、オーストリア皇妃エリーザベトに関しては、一貫して、このような肯定的・同情的なイメージでばかり、語られ続けてきた。自由を愛し、民主主義思想と適切な批判精神を持ち、個人としての自立を目指した、近代的で高い知性を備えた女性。そして、コルティ以降、その繊細で自由な感性から、人間性を圧殺する、ウィーン宮廷のその古臭くて厳格で人間味のない慣習や生活に耐えられず、生涯旅から旅への生涯を余儀なくされた、悲劇の女性、そして繊細過ぎる感受性を持った、まるでガラスのように脆くて壊れやすい女性というような見方が、いまだに根強い。 更に、そのようなごく正当な主張を受け入れられない、時代遅れの頑迷な宮廷に馴染めず、その苦悩を詩や日記などで吐露し、流浪の旅への日々に送った、薄幸の美人皇妃。虚飾に満ちた、上流社会の一般的な生活よりも、あくまで本質を重んじた彼女は、全てがくだらない、こうした世界に背を向け、よほど価値のある思索の日々を、遠い異国で送った。 しかし、本当にこれまでのこうした彼女の捉え方及び称賛は、適切なものなのだろうか? 本当に、長年に渡る、エリーザベトとウィーン宮廷との確執においては、とにかく理解のない、ウィーン宮廷の人々が悪く、彼女の主張の方が、正しかったのだろうか?本当に彼女は、優れた知性と啓蒙された、近代的な思想を持ちながらも、環境に恵まれなかった、悲劇の女性だったのだろうか? 私はこれまで長い間、巷でのこのような、あまりにロマンチックで感傷的かつ肯定的過ぎる、こうした従来のエリーザベト像に懐疑の念を抱き続け、そしてあれこれと自らで研究・様々に考えを巡らせていく内に、こういった彼女の姿は、正確に彼女の本質を捉えていない、ロマンチックな色彩に装われた、虚像なのではないか?という結論に達した。 私はこういったものに疑義の目を向け、これらの装飾を剥ぎ取っていき、彼女の実像に迫っていった結果、目の前に現われてきたものは、もっと、遥かに強烈な自我と自己主張と自尊心を持ち、激烈で自らですらしばしば制御不能になる程の情念を内包した、そして極めてエキセントリックな女性の姿だった。 今までのオーストリア皇妃エリーザベトの称賛及び評価に、懐疑の視線を投げかける。 この巻では、ほとんど夫婦であることが困難な程、気質も主義主張も生活リズムも、ことごとく相違を見せ、ついに何十年も離れ離れに暮らさなければならなくなった夫の皇帝フランツ・ヨーゼフ、子供達の中では、反逆的、そして芸術家気質でエキセントリックな傾向を持つ、自分と同じヴィッテルスバッハ家の血を最も色濃く受け継ぎ、本来なら最も親密な親子になっていたかもしれなかったにも関わらず、なぜかエリーザベトは自分の思想との共通点は認めつつも、この息子ルドルフに対してはどこかよそよそしく、距離を置き続け、彼女の愛情は、ひたすら三女マリー・ヴァレリーの方へと注がれるという、悲劇的な関わり合いを見せた息子ルドルフ、そして激しく嫌悪し続け、終始辛辣で冷ややかな態度でエリーザベトが臨んだ、義娘のステファニー、共に美貌を備えた異端の王族、そして何かと共通点を有し、親しく交流したバイエルン国王ルートヴィヒ二世、そして彼とエリーザベトを結び付けていた、独特の共感と世界観。エリーザベトを巡る周囲の人物達との関係、そしてなぜエリーザベトは、あそこまで自分の中の理想の体型を維持し続けることに、並々ならない執念を燃やしたのか?その真意とは?彼女の生涯の中で、大変に重要な比重を占め続けた、美容崇拝について、考察してみた。