ポパーの批判的合理主義は多くの誤解を受けてきた。そのうち、著者のフランチェスコ・ディ・イオリオは、主流の社会科学の哲学者によって誤解されてきた「ポパーの世界3と方法論的個人主義との整合性」を見事に論証している。存在論としてのポパーの世界3論は、唯心論や唯物論といった一元論だけでなく、デカルトの身心二元論の限界をも克服する第三の解決案である。ポパーの世界3論の理解なくしては、われわれを取り巻いている世界がどのように存在するかに関する実りある洞察は得られない。また、われわれの世界を理解するにあたって、方法論的個人主義とホーリズム、どちらの立場に立つかの論争は永い歴史をもっている。この問題に関しても、著者は明確な答えを示している。社会科学に属する個別学科領域の知的探求において、「ポパーの世界3と方法論的個人主義との整合性」を理解することは、知的成果の客観性を確保する道につながり、さらなる知識の成長を促す第一歩となるに違いない。
ポパーの批判的合理主義は多くの誤解を受けてきた。そのうち、著者のフランチェスコ・ディ・イオリオは、主流の社会科学の哲学者によって誤解されてきた「ポパーの世界3と方法論的個人主義との整合性」を見事に論証している。存在論としてのポパーの世界3論は、唯心論や唯物論といった一元論だけでなく、デカルトの身心二元論の限界をも克服する第三の解決案である。ポパーの世界3論の理解なくしては、われわれを取り巻いている世界がどのように存在するかに関する実りある洞察は得られない。また、われわれの世界を理解するにあたって、方法論的個人主義とホーリズム、どちらの立場に立つかの論争は永い歴史をもっている。この問題に関しても、著者は明確な答えを示している。社会科学に属する個別学科領域の知的探求において、「ポパーの世界3と方法論的個人主義との整合性」を理解することは、知的成果の客観性を確保する道につながり、さらなる知識の成長を促す第一歩となるに違いない。