上から眺める海とはまったく別次元の世界が、海中である。スキューバーダイビングのシステムが開発されて、手軽に海中散歩が楽しめるようになってまだ50、60年しか経っておらず、日本ではほんの数十年である。それほどポピュラーでないのは当然のことかもしれない。しかし、もったいない話である。広く美しい海に恵まれた日本にあってという意味において。筆者はこれまで沖縄以外では和歌山県の白浜・白崎・串本、福井県の越前海岸、徳島県の牟岐などでダイビングを経験した。しかしながら、ダイビングに関する限り沖縄の海は別格である。珊瑚礁の美しさ・熱帯魚の豊富さ・透明度の高さ、いずれを取っても別格。沖縄の海は、まさに日本の宝である。このように美しい海をもつ日本を誇りにおもうとともに、この沖縄の海でダイビングができることに、いつも感謝で一杯。 当初、宮古島か石垣島かで迷っていたが、知人のヨットマンが「君、そりゃー断然宮古島だよ!石垣島は観光化されすぎている」の言葉にしたがって今日まで宮古島一本できている。宮古島のダイビングでよかったのは、海底地形の面白さである。様々な洞窟がありその造形の素晴らしいことは、そのスポットのひとつに“アントニオガウディ”と名付けられていることからも知れよう。いうまでもなくアントニオガウディはスペインの建築家でありサグラダ・ファミリアを始め数々の名建築を設計したことで世界的に著名である。宮古島の“アントニオガウディ”は洞窟内の複雑で精巧な構造がアントニオガウディの設計に通じることに因んで命名されたのであろう。この“アントニオガウディ”以外にも数多くの素晴らしい洞窟が存在し、それらが太陽光線と一体となって正に自然の芸術作品をわれわれに見せてくれるのである。 海底に太陽光が射し込んで、白い砂と岩とがあたかも“枯れ山水”を創出し、一瞬海水があることを忘れさせるような幽玄の世界を、我々に見せてくれたりもする。またある時には、太陽の光の束が海底を照らし出し、その光のビームがまるで生き物のように揺らいでいるような、幻想的な光景も演出してくれる。また、地上にある池が海と通じている“通り池”のような珍しい地形にも我々を導いてくれる。また、これらの洞窟は光の芸術を見せてくれるだけの死の世界ではなく、その中には数えきれないほど多くの魚や生物が住んでいて、活き活きと活気に満ちた世界も見せてくれる。スカシテンジクダイやハタンポなど小魚の多くは、この迷路のような洞窟内で生活しているが、これらの洞窟は珊瑚礁とともに小魚の避難場所となって、沖縄の豊かな生態系を下支えしているのである。 また、宮古島の海域では実に多くの魚の生態を観察することができた。 オジサンが中層付近で尾鰭を下に“立った”状態で、ホンソメワケベラにクリーニングされてうっとりしている姿とか、加えてこのオジサンがそのホンソメワケベラを“指名した”節があることなど、まるで人間臭い姿も垣間見る事ができた。また2匹のウツボがぴったりと寄り添う求愛行動に会って、どこまでも続く“愛の逃避行”を見たのも忘れられない体験だった。 真っ白い海底の砂漠の中に何百万匹、いや何千万匹の雲霞のごとく大量のスカシテンジクダイに遭遇したのも、得難い体験であった。そして海岸ではこれも何百万匹のオカガニがいっせいに産卵する光景を目にしたのも感動ものであった。クロスズメダイが彼らの主食を“耕作”して必死に守っているのを目撃したのも興味深かった。一方では、大きな釣り針が針掛かりしたガーラ(ロウニンアジ)を見たのも痛々しく感じたものである。 これらは逐一ビデオ撮影して、帰宅後パソコンやCDへ取込み、必要なものは静止画像とした。本書の中で用いた写真のすべてはこの静止画像の写真である。たえず動いている魚をカメラで撮影するのは難しいため、最初からもっぱらビデオ撮影すると決めていたのであるが、これでは接写撮影できないので小さな魚などは不明瞭となったケースも多々あるが、ご容赦ねがいたい。 宮古島では、ヤジビ(八重干瀬)という日本最大の美しい珊瑚環礁の紹介も欠かせない。ヤビジは池間島の北方5〜20km付近に点在する南北17km、東西6.5kmの珊瑚環礁の総称で、100以上の干礁からなるといわれている。ここでは、海面からわずか1mほどの深さで、お花畑のようなきれいな珊瑚とスズメダイなどの熱帯魚が乱舞している様を目と鼻の先で見られるのである。そのため、スキューバーダイビングで深く潜る必要はない。シュノーケルで十分楽しめるのである。シュノーケリングは空気ボンベが不要のため2時間でも3時間でも連続して遊泳を楽しめることや珊瑚環礁を1周するような長距離の遊泳もできるなどダイビングではできない楽しみが手軽にできるというのがメリットである。そしてハンディタイプの防水型ビデオを使用すると、帰宅後、これをテレビ画面に投影すれば、ヤジビの余韻を年中楽しめるのである。 また、筆者は、子供の頃は淀川、成人してからは明石海域で魚釣りを楽しんできた。沖縄では、これらでは味わえないような豪快な釣りをしたいとは常々考えていたことである。スキューバーダイビングで宮古島へ通うのを機会に船釣りを始めたのも当然の成り行きであった。明石海峡で獲れるメバルやアイナメ、ガシラなどは本当に美味しいが、ここでは味わえない釣りが宮古島にはある。イソマグロやガーラなどの豪快な釣りである。ということで、宮古島でスキューバーダイビングを始めて以来、船釣りを欠かしたことはない。池間島漁港からヤジビ環礁へ行き、そこで様々な釣りをするのであるが、これまでもっとも印象に残っているのは“石巻1本釣り”である。日本でも池間島にしか存在しない独特の釣りが石巻1本釣りで、100m以上の長さの道糸の先端に重りをつけ、その先に釣り針とハリスをつけただけという原始的で簡単な仕掛けである。釣り棹もウキも使わない脈釣りである。長いときには100mも流した釣り糸の先で魚がつつくのを、指先の“わずかな感触”だけでキャッチし大きく合わせてから、100mほどの道糸を手でたぐり寄せて釣り上げる漁法である。しんどい釣りではあるが、これが面白い。しかしながら、なかなか難しいのも事実。“石巻”とあるように、グルクンなどの切り身を針に通して、これを拳大の石にぐるぐる巻き付けて海中へ投入するのであるが、この石が沈んで海底付近に到達する直前に、道糸を大きく引っ張って石に巻き付いた針を解放しなければ釣りにならないわけである。しっかり固定するが容易に解けなければならないというこの“二律背反の加減”がこの釣りのポイントである。この釣りでは、石を海中に入れて重りとともに海底に到達して石が解放された“瞬間に”魚の当たりがあって、釣り上げられるというケースを数多く経験した。ということは、中層域を遊泳している大きな魚は、石が落下している状態をよく観察していて、石が離れて餌が海底付近を回転した瞬間に飛びついて飲み込むと考えられるわけである。つまり、大きな魚は海底にある餌を探しまわるというより、海中で物の動きを注視しこの観察の中から獲物を選別しているものと推察する。 もうひとつ印象に残っているのは“泳がせ釣り”である。生きているグルクンの背中に針を通して海面付近を遊泳させて大物の当たりを待つという簡単な釣りである。この場合には釣り竿は用いるが、浮きや重りは付けない。イソマグロがヒットすると釣り上げるまでに20分以上は格闘しなければならず、一苦労するが釣り上げたときの達成感と爽快感は得難いものである。 そして水上バイクである。初めて前浜ビーチを見た時、真っ白な砂浜とエメラルドグリーンの海には目を見張ったが、それ以上に驚いたのは人が少ないということであった。地元の須磨海岸の芋の子を洗うような人そして人。これに比べればまさに天国である。そのとき来間大橋に向けて水上バイクの疾走する姿を目にした瞬間に、よし免許を取ってここを疾走しようと決意した。さっそく、帰ってから姫路で講習と実習を受けた後、西宮市の今津港で水上バイクの免許を取得した。その後、現在にいたるまで前浜ビーチでの水上バイクの運転も宮古島での必須アイテムとなっている。波の穏やかなときには時速100km近いスピードがでるが、須磨海岸では到底だせないスピードである。 これら宮古島のスキューバーダイビングを中心にした体験をまとめるに当って、最初、趣味の俳句を使おうと意図していた。しかしながら、魚の名前にも長いのがあってフタスジリュウキュウスズメダイなどはこれだけで「575」の俳句に詠み込むことは当方の力ではできず、和歌を用いることにした。これに加えて魚にまつわるウンチクなどをエッセーとしてまとめた。 以上、宮古島近海の200種類以上の魚の写真と和歌とエッセーをまとめたのが本書であるが、これらをまとめるに当たり、多くの知識や経験などを話して頂きファンダイビングに同行していただいたオーシャンランドダイブセンターの井辻淳二オーナーやインストラクターの廣中麻奈美さんに深く感謝申し上げます。とりわけ廣中麻奈美さんには多くの魚の名前を教えもらい、これがなければ、本書をまとめることは到底できなかったことを付記しておきたい。 また、池間島の勝連見治さんには舟釣りで多くの教えをいただき感謝しております。また、「日本の海水魚(山と渓谷社)」やインターネットから数多くの知識や情報を活用させていただいた。
上から眺める海とはまったく別次元の世界が、海中である。スキューバーダイビングのシステムが開発されて、手軽に海中散歩が楽しめるようになってまだ50、60年しか経っておらず、日本ではほんの数十年である。それほどポピュラーでないのは当然のことかもしれない。しかし、もったいない話である。広く美しい海に恵まれた日本にあってという意味において。筆者はこれまで沖縄以外では和歌山県の白浜・白崎・串本、福井県の越前海岸、徳島県の牟岐などでダイビングを経験した。しかしながら、ダイビングに関する限り沖縄の海は別格である。珊瑚礁の美しさ・熱帯魚の豊富さ・透明度の高さ、いずれを取っても別格。沖縄の海は、まさに日本の宝である。このように美しい海をもつ日本を誇りにおもうとともに、この沖縄の海でダイビングができることに、いつも感謝で一杯。 当初、宮古島か石垣島かで迷っていたが、知人のヨットマンが「君、そりゃー断然宮古島だよ!石垣島は観光化されすぎている」の言葉にしたがって今日まで宮古島一本できている。宮古島のダイビングでよかったのは、海底地形の面白さである。様々な洞窟がありその造形の素晴らしいことは、そのスポットのひとつに“アントニオガウディ”と名付けられていることからも知れよう。いうまでもなくアントニオガウディはスペインの建築家でありサグラダ・ファミリアを始め数々の名建築を設計したことで世界的に著名である。宮古島の“アントニオガウディ”は洞窟内の複雑で精巧な構造がアントニオガウディの設計に通じることに因んで命名されたのであろう。この“アントニオガウディ”以外にも数多くの素晴らしい洞窟が存在し、それらが太陽光線と一体となって正に自然の芸術作品をわれわれに見せてくれるのである。 海底に太陽光が射し込んで、白い砂と岩とがあたかも“枯れ山水”を創出し、一瞬海水があることを忘れさせるような幽玄の世界を、我々に見せてくれたりもする。またある時には、太陽の光の束が海底を照らし出し、その光のビームがまるで生き物のように揺らいでいるような、幻想的な光景も演出してくれる。また、地上にある池が海と通じている“通り池”のような珍しい地形にも我々を導いてくれる。また、これらの洞窟は光の芸術を見せてくれるだけの死の世界ではなく、その中には数えきれないほど多くの魚や生物が住んでいて、活き活きと活気に満ちた世界も見せてくれる。スカシテンジクダイやハタンポなど小魚の多くは、この迷路のような洞窟内で生活しているが、これらの洞窟は珊瑚礁とともに小魚の避難場所となって、沖縄の豊かな生態系を下支えしているのである。 また、宮古島の海域では実に多くの魚の生態を観察することができた。 オジサンが中層付近で尾鰭を下に“立った”状態で、ホンソメワケベラにクリーニングされてうっとりしている姿とか、加えてこのオジサンがそのホンソメワケベラを“指名した”節があることなど、まるで人間臭い姿も垣間見る事ができた。また2匹のウツボがぴったりと寄り添う求愛行動に会って、どこまでも続く“愛の逃避行”を見たのも忘れられない体験だった。 真っ白い海底の砂漠の中に何百万匹、いや何千万匹の雲霞のごとく大量のスカシテンジクダイに遭遇したのも、得難い体験であった。そして海岸ではこれも何百万匹のオカガニがいっせいに産卵する光景を目にしたのも感動ものであった。クロスズメダイが彼らの主食を“耕作”して必死に守っているのを目撃したのも興味深かった。一方では、大きな釣り針が針掛かりしたガーラ(ロウニンアジ)を見たのも痛々しく感じたものである。 これらは逐一ビデオ撮影して、帰宅後パソコンやCDへ取込み、必要なものは静止画像とした。本書の中で用いた写真のすべてはこの静止画像の写真である。たえず動いている魚をカメラで撮影するのは難しいため、最初からもっぱらビデオ撮影すると決めていたのであるが、これでは接写撮影できないので小さな魚などは不明瞭となったケースも多々あるが、ご容赦ねがいたい。 宮古島では、ヤジビ(八重干瀬)という日本最大の美しい珊瑚環礁の紹介も欠かせない。ヤビジは池間島の北方5〜20km付近に点在する南北17km、東西6.5kmの珊瑚環礁の総称で、100以上の干礁からなるといわれている。ここでは、海面からわずか1mほどの深さで、お花畑のようなきれいな珊瑚とスズメダイなどの熱帯魚が乱舞している様を目と鼻の先で見られるのである。そのため、スキューバーダイビングで深く潜る必要はない。シュノーケルで十分楽しめるのである。シュノーケリングは空気ボンベが不要のため2時間でも3時間でも連続して遊泳を楽しめることや珊瑚環礁を1周するような長距離の遊泳もできるなどダイビングではできない楽しみが手軽にできるというのがメリットである。そしてハンディタイプの防水型ビデオを使用すると、帰宅後、これをテレビ画面に投影すれば、ヤジビの余韻を年中楽しめるのである。 また、筆者は、子供の頃は淀川、成人してからは明石海域で魚釣りを楽しんできた。沖縄では、これらでは味わえないような豪快な釣りをしたいとは常々考えていたことである。スキューバーダイビングで宮古島へ通うのを機会に船釣りを始めたのも当然の成り行きであった。明石海峡で獲れるメバルやアイナメ、ガシラなどは本当に美味しいが、ここでは味わえない釣りが宮古島にはある。イソマグロやガーラなどの豪快な釣りである。ということで、宮古島でスキューバーダイビングを始めて以来、船釣りを欠かしたことはない。池間島漁港からヤジビ環礁へ行き、そこで様々な釣りをするのであるが、これまでもっとも印象に残っているのは“石巻1本釣り”である。日本でも池間島にしか存在しない独特の釣りが石巻1本釣りで、100m以上の長さの道糸の先端に重りをつけ、その先に釣り針とハリスをつけただけという原始的で簡単な仕掛けである。釣り棹もウキも使わない脈釣りである。長いときには100mも流した釣り糸の先で魚がつつくのを、指先の“わずかな感触”だけでキャッチし大きく合わせてから、100mほどの道糸を手でたぐり寄せて釣り上げる漁法である。しんどい釣りではあるが、これが面白い。しかしながら、なかなか難しいのも事実。“石巻”とあるように、グルクンなどの切り身を針に通して、これを拳大の石にぐるぐる巻き付けて海中へ投入するのであるが、この石が沈んで海底付近に到達する直前に、道糸を大きく引っ張って石に巻き付いた針を解放しなければ釣りにならないわけである。しっかり固定するが容易に解けなければならないというこの“二律背反の加減”がこの釣りのポイントである。この釣りでは、石を海中に入れて重りとともに海底に到達して石が解放された“瞬間に”魚の当たりがあって、釣り上げられるというケースを数多く経験した。ということは、中層域を遊泳している大きな魚は、石が落下している状態をよく観察していて、石が離れて餌が海底付近を回転した瞬間に飛びついて飲み込むと考えられるわけである。つまり、大きな魚は海底にある餌を探しまわるというより、海中で物の動きを注視しこの観察の中から獲物を選別しているものと推察する。 もうひとつ印象に残っているのは“泳がせ釣り”である。生きているグルクンの背中に針を通して海面付近を遊泳させて大物の当たりを待つという簡単な釣りである。この場合には釣り竿は用いるが、浮きや重りは付けない。イソマグロがヒットすると釣り上げるまでに20分以上は格闘しなければならず、一苦労するが釣り上げたときの達成感と爽快感は得難いものである。 そして水上バイクである。初めて前浜ビーチを見た時、真っ白な砂浜とエメラルドグリーンの海には目を見張ったが、それ以上に驚いたのは人が少ないということであった。地元の須磨海岸の芋の子を洗うような人そして人。これに比べればまさに天国である。そのとき来間大橋に向けて水上バイクの疾走する姿を目にした瞬間に、よし免許を取ってここを疾走しようと決意した。さっそく、帰ってから姫路で講習と実習を受けた後、西宮市の今津港で水上バイクの免許を取得した。その後、現在にいたるまで前浜ビーチでの水上バイクの運転も宮古島での必須アイテムとなっている。波の穏やかなときには時速100km近いスピードがでるが、須磨海岸では到底だせないスピードである。 これら宮古島のスキューバーダイビングを中心にした体験をまとめるに当って、最初、趣味の俳句を使おうと意図していた。しかしながら、魚の名前にも長いのがあってフタスジリュウキュウスズメダイなどはこれだけで「575」の俳句に詠み込むことは当方の力ではできず、和歌を用いることにした。これに加えて魚にまつわるウンチクなどをエッセーとしてまとめた。 以上、宮古島近海の200種類以上の魚の写真と和歌とエッセーをまとめたのが本書であるが、これらをまとめるに当たり、多くの知識や経験などを話して頂きファンダイビングに同行していただいたオーシャンランドダイブセンターの井辻淳二オーナーやインストラクターの廣中麻奈美さんに深く感謝申し上げます。とりわけ廣中麻奈美さんには多くの魚の名前を教えもらい、これがなければ、本書をまとめることは到底できなかったことを付記しておきたい。 また、池間島の勝連見治さんには舟釣りで多くの教えをいただき感謝しております。また、「日本の海水魚(山と渓谷社)」やインターネットから数多くの知識や情報を活用させていただいた。