1999年 すぐ隣の国ロシア、新潟から飛行機でたった1時間半の街 ウラジオストク 僕は突然その街を訪れたくなった。 それはどんな場所なのか全く想像ができなかったらだ。ウラジオストクの情報はほとんどなかった時代だ。それというのも 社会主義ソ連時代、ウラジオストクは極東艦隊の軍港だった。そのためウラジオストクに住む人間以外、外国人は当然としてソ連人でさえも訪れるには難しい場所だった。日本人にとってすぐそばにありながら存在しない秘密の都市だった。 ソ連以前、帝政ロシア時代は浦塩と呼ばれ与謝野晶子が、男を追い、訪れたことでも有名だ。そして日露戦争のおりには バルチック艦隊が目指した場所でもある。 写真家である僕は、世界中をこの目で焼き付けている。ただ、たいていはすでに 多くの情報を持ち、行く前からかなりを想像することが可能だ。 だからなるべく情報はカットして、自分の目で見ることを大切している。 しかしウラジオストクはそんな必要がなかった。想像しようがなかったからだ。 未知の場所に行くのは興奮する。 新潟から乗ったイリューシンはまるでバスのように上の棚は網棚だった。 揺れるたび頭上の荷物が落ちӖ
1999年 すぐ隣の国ロシア、新潟から飛行機でたった1時間半の街 ウラジオストク 僕は突然その街を訪れたくなった。 それはどんな場所なのか全く想像ができなかったらだ。ウラジオストクの情報はほとんどなかった時代だ。それというのも 社会主義ソ連時代、ウラジオストクは極東艦隊の軍港だった。そのためウラジオストクに住む人間以外、外国人は当然としてソ連人でさえも訪れるには難しい場所だった。日本人にとってすぐそばにありながら存在しない秘密の都市だった。 ソ連以前、帝政ロシア時代は浦塩と呼ばれ与謝野晶子が、男を追い、訪れたことでも有名だ。そして日露戦争のおりには バルチック艦隊が目指した場所でもある。 写真家である僕は、世界中をこの目で焼き付けている。ただ、たいていはすでに 多くの情報を持ち、行く前からかなりを想像することが可能だ。 だからなるべく情報はカットして、自分の目で見ることを大切している。 しかしウラジオストクはそんな必要がなかった。想像しようがなかったからだ。 未知の場所に行くのは興奮する。 新潟から乗ったイリューシンはまるでバスのように上の棚は網棚だった。 揺れるたび頭上の荷物が落ちӖ